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2009年12月 アーカイブ

2009年12月18日

社会保障の歴史

社会保障の歴史は、経済社会の動きと密接に関係しており、社会保障の仕組みは、各国が長い歴史の中で、相互に影響を与えながら積み重ねてきたものである。19世紀から20世紀にかけては、各国で失業問題が最大の課題であり、その中から社会保障が進展してきた。また、本来、福祉とは正反対の戦争が契機となって社会保障の基礎がスタートした。20世紀後半以降、先進各国では経済の低成長・少子・高齢化が社会保障の大きな課題である。

救貧法
大航海時代は、世界貿易を発展させ、商業の一大変革をもたらした。毛織物工場を刺激し、イギリスの農業地帯はいっせいに羊を飼う牧場へ変わっていった。農地から追い出された農民たちは、都市へ流れ込み無産者(貧民)となった。1601年、イギリスではこれまでの救貧施策をまとめた、家族による支援が得られない貧困者を救済する法を制定した。この救貧法(Poor Law)は現在の公的扶助にいたる原形となるが、当時社会保障という言葉は生まれていなかった。1834年に救貧法の大改正が行われ、貧民処遇の一元化や中央集権化が図られた。新救貧法では、貧困者は救貧院に収容されて、そこで働かされることになった。救貧の水準について「自立して働いている人のうちのもっとも貧しい人の生活水準以下で救済する」という、劣等処遇の原則や院外救済の禁止、市民権の剥奪などが確立された。

社会保険の誕生
産業革命により資本主義が定着していくと、資本家から失業は個人の問題であり国による貧民救済は有害との主張がなされた。一方、工場労働者たちも防貧のために、自分たちの賃金の一部を出し合って助け合う共済組合を作っていった。共済組合は、イギリスでは友愛組合、ドイツでは疾病金庫などの名前で親しまれ、主に疾病と失業による雇用の中断の際の経済的保障を提供していた。これらは、共済内メンバーの所得保障等に寄与したが、一方で高齢者(退職した労働者)の貧困問題には対処できなかった。また、小規模の助け合いの仕組みでは給付水準も限られ不安定であった。

1883年、ドイツで初めて疾病保険が制定された。1884年には労災保険、1889年には年金保険が制定された。このように、社会保険制度を創設しつつ社会主義運動を弾圧する鉄血宰相オットー・フォン・ビスマルクの政策は「飴とムチ」の政策と呼ばれる。疾病保険は、既存の共済組合を利用したもので、経費の公費負担はなかったが、労災保険の費用は全額事業主負担だった。年金保険は30年以上保険料を払い込んだ70歳以上の高齢者に給付を行うものであり、公費負担が3分の1だった。ドイツで始まった社会保険の仕組みは、その後世界各国で導入されるようになる。

ベヴァリッジ報告
1929年にウォール街での株の大暴落を契機として始まった世界大恐慌により、世界各国には大量の失業者があふれ、社会不安が増大した。アメリカでは、フランクリン・ルーズベルト大統領がニューディール政策の一環として1935年に連邦社会保障法(Social Security Act)を制定した。社会保障という言葉はこのとき初めて使われたが、この連邦社会保障法は、老齢年金、失業保険、障害者扶助、母子衛生及び児童福祉事業等をその内容としており、必ずしも、今日使われているような社会保障を意味するものではなかった。

社会保障という言葉が、国際的に本格的に使われるようになったのは、ベヴァリッジ報告以後である。イギリスでは、戦時中の1942年にウィリアム・ベヴァリッジが「社会保険と関連サービス」と題したベヴァリッジ報告を提言し、その後、多くの国の社会保障の発展に大きく影響を与えることになる。この報告では、社会保険制度を中心とし、公的扶助・関連諸サービスを総合し、「ゆりかごから墓場まで」をスローガンにした

『ウィキペディア(Wikipedia)』引用


社会保障の歴史について調べてみました。

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